ネットに情報は本当に溢れているのか?今は本当に情報過多なのか?

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ダンボーが霧の中でさまよっている様子 こあら的思考

ネットをしていると「最近はネットは情報過多になっている」というのをよく見かけるのですが、本当にそうなのかな?と思う鈴木です。

毎日、かなり検索はするのですが情報が無い!って思うことって結構あるんです。

今日もあることを調べていたら、結局求めていた情報はネットにはなく、電話で聞きました。

情報過多だと思っているのなら少しだけ新しいことに目を向けてみませんか?

するとまだまだ世の中は情報が足りてないことがあるということに気がつくと思います。

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情報過多の情報はマネタイズしやすいキーワード

僕もネットで情報過多となっているカテゴリーというか検索キーワードはあると感じています。

それは当然と言えば当然で、儲かる!とわかるキーワードにはいろいろな人が集まってコンテンツを作っていきます。

だからマネタイズしやすいキーワードほど情報過多になっていると言えます。

これはアフィリエイトにおける収益化しやすいキーワードに限らず、検索ボリュームが大きなキーワードも同じです。

検索ボリュームが大きければクリック課金型の広告で収益化しやすくなるから、ここでも情報過多になる傾向が見られます。

言い換えると収益化しにくいキーワードは、情報が足りてないことが多いです。

検索ボリュームが少なければコンテンツ化されないことも多いので、情報が足りないということになっていきます。

見ている世界・モノ・コトで情報過多にも情報過小にもなる

収益化・マネタイズとはあまり関係ないところで、ネットの情報が溢れている、情報過多だと思う人もいれば、情報過小と感じる人もいると思います。

それは見ている世界・モノ・コトで情報過多であったり情報過小であったりすると思います。

ただし、もう何ヶ月、何年も情報過多だと思うのなら、思考が固まってきてしまっているということを意識した方が良いように思います。

というより、新しいモノ・コト・世界に触れていないのかな?と。

これに似たようなことはすでに言語化・書籍化されていて下記の本に書かれています。

弱いつながり 検索ワードを探す旅 (幻冬舎文庫)

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東 浩紀
583円(08/25 09:25時点)
発売日: 2016/08/05
Amazonの情報を掲載しています

この本では下記のように書かれています。

ぼくたちはもうネットから離れられない。だとすれば、その統制から逸脱する方法はただひとつ。

グーグルが予測できない言葉で検索することです。

ではそのためにどうすればよいか。本書の答えはシンプルです。場所を変える。それだけです。

この後には環境を意図的に変えることで検索キーワードを変えられると書いています。

ただ環境を変えても見ている世界・モノ・コトが同じなら検索キーワードは変えられないのではないか?と感じています。

僕は2017年10月に千葉県から北海道は札幌へと引越しました。

引越したことで確かに今までの自分では考えてなかったキーワードに気づきました。

場所を変えることで確かに今までの自分の思考とは異なるキーワードに出会うことはあり、キーワードによっては確かに情報がほとんど無い、全く無いという体験を実際にしています。

引っ越さないと無理という話ではなく、例えばたまには進行方向とは全く逆の電車に乗ってみるということだけでも、新しい発見はあります。

いやいや、見つからないよ、ということであれば自分の思考が完全に固まってしまっているか、感性が鈍ってしまったか、そのどちらかでしょう。

だから見ている世界・モノ・コトを少しだけ変えるだけでも、情報過多になっていない情報過小な世界を見ることが出来ます。

付き合う人を少しだけ変化させてみる

付き合う人を変えてみることでも環境は変化します。

例えば、僕のブログを見に来てくれる人はブロガーとかアフィリエイターという人が多いのですが、もし普段話す人がブロガーとかアフィリエイター、家族と昔からの友人ということだけになっていたら、少しだけ毛色・趣味の違う人と話してみると新しい発見があります。

だから僕は定期的に少しだけ毛色の違う集まりに参加しています。

ここ最近だとPPC広告の運用の勉強会に参加したり、WordPressの勉強会に参加したり。

あれ?毛色同じじゃない?と思うかもしれませんが微妙に違うんですよ。

PPC広告の集まりに行ってみるとわかりますが、ウォッチしている対象がブログ界隈とは全く違いますからね。

WordPressの勉強会でも、その会に来る人がウォッチしている対象は全く異なります。

隣り合っている界隈でも良いので少しだけ毛色が違う界隈に行くと全く見ているものが違うことに気が付きます。

情報過多なのは情報に流されているから

最後に情報過多だと感じるのであれば、それはそもそも情報に流されている可能性があります。

自分から新しい情報を得ようとしていないために受動的に受け取る情報の範囲内で過ごしているため、情報過多に感じてしまっているのではないでしょうか?

情報をテレビや新聞、雑誌、SNSで得ているのなら既に、それは情報化されたものであって、いくつか類似の情報は既に書かれていて、情報過多になってしまっている状態のこともあります。

行動が能動的になると自ら、じゃあこれはどうなっているんだろう?と調べだすので、知らない情報が出てきて、調べてみると、あれ全然その情報にたどり着けない、情報そのものが無い、なんてことが発生してきます。

僕自身の考え方ですが、情報過多だと思っているのなら、何も新しいものに触れていない可能性が高いです。

少しだけ新しいコト・モノ・世界に踏み出すときっと、情報が足りてないことに気がつくと思います。

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